鹿児島旅行記 二日目(2019/09/06)


■朝食
  夕食と同じ「ダイニングルーム 赤松」にて
  約40種類の和洋ビュッフェ。

  鹿児島らしく、黒豚のなんこつ煮、黒豚みそ、
  きびなご生姜煮、さつま汁などを選び、
  和食系にしてみました。




本日の観光はホテル近くの丸尾滝から。
道路脇にあるので車の中からも見ることができます。
■丸尾滝
  高さ23m、幅16m。
  上流の栄之尾温泉や硫黄谷温泉の温泉水を
  集めて落ちる珍しい湯の滝。

  豪壮にして華麗な滝で、秋には紅葉が映え、
  冬には湯けむりが立ち上るなど
  四季それぞれの趣があります。

  天気が良いと落下する滝は乳青色に、
  滝壺がエメラルドグリーンに見えることもあります。
■硫黄谷噴気地帯
  道路沿いに大量の噴気が上がっており、
  火山活動を間近で感じられる場所。
  
  噴気が活発化し始めたのは1980年代のことで、
  県道が陥没するなどの大きな被害を受けました。
  そのために、地下にパイプを通して噴気を誘導し、
  道路を保護しています。


■霧島温泉市場
  霧島温泉郷の中心にあり、、
  お土産・お食事・足湯が楽しめるスポット。
  観光案内所も設置されています。

  温泉の蒸気で調理する「温泉蒸気蒸し販売所」があり、
  温泉まんじゅうやソーセージ、スイートコーンなどを
  味わうことができます。
足湯


温泉蒸気蒸し販売所
■きりん商店
  霧島の「よかもん(いいもの)」を集めたお店。
  (店名は「きりしまのよかもん」を略したもの)
  名産の霧島茶をはじめ、食品や調味料、
  地元の作家による陶器や雑貨などが揃っています。
  築140年の古民家を改装した趣ある佇まいで、
  ゆっくりと時間が流れる雰囲気の良いお店です。
  店主による霧島茶のおもてなしと
  火鉢で炙ってもらうパンがこの店の名物です。
店内の様子

上がミルクで下が抹茶のかき氷「みるクマっ茶」を食す
後日(9/20)、GACKTさんがここを訪れた際、
これを食されてゲキオシ認定されたそうです

■西郷公園
  鹿児島空港から徒歩3分の好立地にある公園。
  薩摩藩の別邸を彷彿とさせる門構えで、
  庭園や噴水を配した石畳の広場の周囲には、
  西南戦争を描いた53枚の錦絵をはじめ、
  西郷隆盛や明治維新に関する資料、軍服、
  エピソードなどが展示されています。

  西郷公園の特徴は巨大な西郷隆盛像。
  高さ10.5mで、実在の人物像としては日本最大。
  正式名称は「現代を見つめる西郷隆盛像」。

  この像は当初、昭和52年(1977年)の
  西郷没後100年顕彰事業として京都霊山護国神社に
  建立する目的で作られましたが、計画が頓挫。
  富山県高岡市の倉庫に10年以上も
  保管されたままであることを知った地元の有志が、
  昭和63年(1988年)に像を現在の場所に誘致。
  同時に一帯を公園として整備したのが
  西郷公園の始まりです。
現代を見つめる西郷隆盛像
これにて霧島周辺の観光は終わり、
鹿児島市内へ向かいます。

まずは鹿児島市郊外にある川路利良誕生地へ。


■川路利良誕生地
  日本の初代大警視(現・警視総監)を務め、
  欧米の近代警察制度を日本で初めて構築した
  川路利良が生まれた地。

  天保5年(1834年)、身分の低い与力であった
  川路家の長男として利良は誕生。
  16歳で藩に出仕し、翌年転居するまで
  この生家から鹿児島城下まで片道12kmの道を
  通いました。

  元治元年(1864年)、禁門の変では
  長州藩遊撃隊総督の来島又兵衛を狙撃して倒す
  戦功を挙げ、西郷隆盛や大久保利通から
  高く評価されました。

  慶応4年(1868年)、戊辰戦争の鳥羽・伏見の戦いに
  薩摩官軍大隊長として出征。
  その後、上野戦争や会津戦争で活躍し、
  藩の兵器奉行に昇進しました。

  維新後は西郷の推薦を受けて東京府に仕え、
  邏卒(ポリス)制度の創設に従事。
  明治5年(1872年)に3000人の邏卒のトップとなる
  邏卒総長に就任し、各国警察制度視察のため、
  ヨーロッパに渡りました。

  帰国後、司法権と警察権の分離を建議して、
  警察が司法省から内務省に移管。
  明治7年(1874年)、
  東京警視庁を創設して初代大警視に就任し、
  近代警察制度の確立に尽力しました。

  明治六年政変の際には、西郷が下野すると
  多くの薩摩出身者が後を追って帰郷しましたが、
  川路は「私情においては誠に忍び難いことであるが、
  国家行政の活動は一日として休むことは許されない。
  大義の前に私情を捨ててあくまで警察に献身する」と
  プライベートよりも国家に尽くすことを表明しました。
  
  明治10年(1877年)、西南戦争が勃発すると
  陸軍少将を兼任し、警視庁警視隊で組織された
  別働第三旅団の長として西郷軍と戦いました。
川路利良誕生地近くのバス停は「大警視」








続いて鹿児島市中心部へ向かい、昼食を食べました。


■昼食
  鹿児島名物といえば黒豚。
  黒豚を使った名物料理といえばとんかつ。
  というわけで、鹿児島中央駅近くの
  「とんかつ川久」へ行きました。

  おいしさとボリュームが人気のとんかつ専門店で、
  開店前から行列ができるお店です。

  とんかつに使用している豚肉は、
  渡辺バークシャー牧場の鹿児島県産純粋黒豚と、
  霧島山麓で育った霧島熟成豚ひなもりポーク。
  旨味を堪能できるように、
  分厚く切った肉に薄めの衣をつけて、
  低温の油でじっくりと揚げています。

  とんかつの味を引き立てるのは、
  自家製のゆず味噌ダレ、しょうゆダレ、ソースダレ。
  3種類のタレで様々な愉しみ方ができます。

  黒豚ヒレカツと黒豚ロースカツの定食を注文。
  シェアして食べました。

  衣はサクサク、
  お肉はその厚さからは想像できないほど
  柔らかくてジューシーでした。

  とてもおいしかったです。
定食のセットメニュー
黒豚ヒレカツ


黒豚ロースカツ


■西郷隆盛終焉の地
  西南戦争で薩軍を指揮した西郷隆盛が、
  政府軍の総攻撃を受ける中、自刃した場所。

  明治10年(1877年)9月1日、
  熊本、大分、宮崎と九州各地を転戦した薩軍は
  再び鹿児島へ帰ってきました。

  鹿児島で当初劣勢であった政府軍は
  次第に形勢を逆転して薩軍を城山へ追い詰め、
  包囲態勢を完成。

  9月24日未明、政府軍が一斉に砲撃を開始すると
  薩軍は敵陣目掛けて岩崎谷を駆け下り、
  最後の抵抗を示しました。

  しかし、谷の入口付近で一斉射撃を受け、
  西郷は腹部と太腿に被弾し動けなくなります。
  西郷は傍らの別府晋介に対し、
  「晋どん、もう、ここらでよか」と告げ、
  居住まいを正して皇居の方角を望んで一礼。
  別府の介錯によって自決しました。享年51歳。


■西郷隆盛洞窟
  西南戦争の最終局面において、
  政府軍の城山包囲網の中、
  西郷が最後の五日間を過ごしたのが
  この洞窟と伝えられています。


西郷隆盛洞窟

■城山展望台
  城山は鹿児島市中央部にある標高108mの小高い山。
  西南戦争の最後の激戦地となったため、
  西郷隆盛洞窟や西郷隆盛終焉の地など、
  西南戦争にまつわる史跡が多く存在します。

  現在は城山公園として整備され、
  遊歩道での散策も楽しめるなど、
  市民の憩いの場となっています。

  展望台からは桜島をはじめ、
  錦江湾や鹿児島市街地を一望でき、
  夜景が美しいことでも有名です。
城山展望台より鹿児島市街地を望む(右画像→)
雲がかかっていて、桜島はほとんど見えませんでした

■西南戦争薩軍本営跡
  西南戦争の最終局面において、
  薩軍の本営が置かれた地。

  1万人以上を率いて鹿児島で挙兵してから7ヶ月。
  わずか300余りの兵とともに故郷へ戻った西郷は、
  城山頂上近くに立て籠もり、本営としました。

  城山を包囲した政府軍は、
  最終的に約5万人だったといわれています。


ここでちょっとブレイク。
スイーツをはしごしました。
■平田屋
  鹿児島のソウルフード「両棒餅」のお店。
  「両棒餅」と書いて「ぢゃんぼもち」と読みます。

  「ぢゃんぼ」とは、
  鹿児島弁で「武士の大小の刀」を意味し、
  2本の竹串を刀に見立ててこの名がついたそうです。

  香ばしく焼かれたお餅に、
  とろみのついた優しい甘さのタレがかかっています。
  イメージとしてはみたらし団子のような感じです。

  一皿を二人でシェア。
  おいしくいただきました。
■天文館むじゃき
  かき氷「白熊」の本家。
  「白熊」とは、一般的に削りたての氷に練乳をかけ、
  フルーツや豆類を盛り付けたかき氷の事をいいます。

  昭和22年(1947年)、「むじゃき」創始者が考案し、
  チェリー、アンゼリカ、干しぶどうの配置が
  白熊に似ていることからその名前が付きました。

  普通の「白熊」を注文。
  さくらんぼ、レーズン、みかん、メロンなど、
  たくさんのフルーツが乗っています。

  氷がふわふわで、自家製ミルクがおいしかったです。


再び観光に戻ります。


■照国神社
  御祭神は照国大明神
  (薩摩藩第十一代藩主・島津斉彬公)。
  鹿児島県で最も参拝者の多い神社。

  文久3年(1863年)、孝明天皇の勅命により
  「照国大明神」の神号が授与され、
  南泉院郭内に祠を造営したのが創祀。
  元治元年(1864年)、東照宮が建っていた地に
  社殿を造営し、照国神社と称するようになりました。

  社殿は明治10年(1877年)の西南戦争や
  昭和20年(1945年)の太平洋戦争で焼失。
  現在の本殿は昭和28年(1953年)、
  拝殿は昭和33年(1958年)に造営されたものです。

  幕末の薩摩藩主・島津斉彬公は、
  松平慶永公(福井藩主)、山内豊信公(土佐藩主)、
  伊達宗城公(宇和島藩主)と並ぶ幕末の四賢侯で、
  勝海舟をして「幕末第一等の英主」と言わしめた
  名君です。 

  早くから西洋文明に関心を抱き、
  藩主としてはわずか7年の治政でしたが、
  藩営の集成館と呼ばれる工場群を整備し、
  わが国最初の洋式帆船「いろは丸」や
  蒸気船を完成させるなど、
  殖産興業や富国強兵策を進めました。

  その力は薩摩藩内に留まらず、
  幕政にも影響力を発揮し、
  公武合体や幕政改革を推進しました。

  さらに人材育成にも取り組み、
  西郷隆盛や大久保利通といった下級武士であっても
  能力あるものを登用し活躍の場を与えました。
島津斉彬公銅像

大鳥居(高さ:19.8m)
神門 拝殿


これにて二日目の観光はすべて終了。
本日の宿に向かいます。


 
■本日のお宿
  鹿児島の繁華街・天文館にある「レム鹿児島」。

  「もっと、よい眠りを」をコンセプトに、
  眠りにこだわった阪急阪神第一ホテルグループの
  新ブランドホテルです。


■夕食
  鹿児島郷土料理の店「吾愛人 本店」。

  創業昭和21年(1946年)。
  郷土料理を中心に、
  創業以来変わらぬ伝統の味「みそおでん」をはじめ、
  地元の食材にこだわった新鮮な海の幸や極上黒豚、
  そしてバラエティー豊富な一品メニューなどが
  揃っています。

  きびなご刺身、地鶏刺身、かつおのタタキ、
  さつま揚、黒豚とんこつ、黒豚しゃぶ鍋などを
  食べました。

  ※妻の友人ご夫婦との会食だったので、
    場の雰囲気を考慮して料理の撮影は控えました。
レム鹿児島客室















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