島根旅行記 三日目(2015/09/12)


■朝食
  夕食と同じく「穀厨」。
  厳選した地元食材中心の和洋50種類以上のご馳走ビュッフェ。

  魚介類が多めでした。
  ごはんは仁多米。
  味噌汁はもちろんしじみ汁。


  今日のメインの観光は石見銀山ですが、
  まずは玉造温泉街の外れ、玉湯川の上流に鎮座する
  玉作湯神社へ。


■玉作湯神社
  出雲国風土記にも記載されている古社。
  創建時期は不明。
  
  玉造は温泉とともに「めのう」の産地としても知られ、
  古来より勾玉の生産で有名な土地でした。
  玉作湯神社には、
  玉作りの神・櫛明玉命(くしあかるだまのみこと)、
  国造りと温泉療法の神・大名持命(おおなもちのみこと)、
  温泉守護の神・少彦名命(すくなひこなのみこと)の
  三神が祀られています。

  神社境内の奥には、古くから「湯山主之大神」として
  崇められてきた丸い自然石「願い石」があります。
  この石に「叶い石」と呼ばれる天然石を重ねて願うことで、
  不思議な力が吹き込まれるといわれています。
  「叶い石」はお守りとして持ち帰ることができます。
  拝殿

本殿


中央の石が「願い石」

  珍しい親子の狛犬


  続いて山陰道、国道9号線を通って石見銀山へ。
  石見銀山までは約80kmの道のりです。

  途中の道の駅キララ多伎で休憩。
  しまねっこの海の別荘がありました。

  このあたりはいちじくが特産らしく、
  果実や加工品などがたくさん売っていました。

  道の駅を出発し、まずは石見銀山世界遺産センターへ。
  石見銀山について学習します。


■石見銀山世界遺産センター
  石見銀山の歴史や鉱山技術を分かりやすく紹介する施設。
  銀山遺跡全体が見られるジオラマのほか、
  当時の銀の精錬技術である灰吹法を解説する展示などがあります。
  また、石見銀山最大級の坑道「大久保間歩」の一部を
  忠実に再現した展示もあります。


※石見銀山
  平成19年、「石見銀山遺跡とその文化的景観」の名で
  世界遺産(文化遺産)に登録。
  14世紀初めに発見されたといわれ、
  16世紀に灰吹法という製錬技術が導入されたことにより、
  良質な銀が大量に生産されることになりました。
  最盛期の江戸時代前半には年間約38トンを産出。
  世界の約3分の1とされる国産銀の大半を
  石見銀山産出の銀が占めていたといわれます。
  しかし、寛永年間(1624~44年)以降は次第に衰退。
  明治以降は銅も産出しましたが、大正12年(1923年)に閉山。


  センター見学後はパーク&ライドのため、
  バスに乗って銀山方面に向かいます。

  バス下車後、レンタサイクルを利用。
  普通の自転車と電動自転車がありましたが、
  迷わず電動自転車を選択。
  見学可能な坑道「龍源寺間歩」までは上り坂が続くので、
  体育会系男子以外は電動が良いとのことでしたので・・・

  おかげで、楽に龍源寺間歩まで行くことができました。


  しまねっこの海の別荘

  いちじくソフトを食す




  龍源寺間歩入口


■龍源寺間歩
  間歩とは銀鉱石を採掘するための坑道のこと。
  石見銀山には大小合わせて600を越える間歩が点在してますが、
  常時一般公開されている唯一の間歩です。

  正徳5年(1715年)に開発された坑道で、
  代官所直営の御直山五ヶ山の一つ。
  全長約600mで、大久保間歩の次に長い大坑道。
  そのうち一般公開されているのは156.7mで、
  そこから新しく掘った116.4mの栃細谷新抗を通って
  出口に向かいます。
  坑道の高さは1.6m~2.1m、幅は0.9m~1.5m。
  壁面にはノミの跡がそのまま残っており、
  当時の抗内の様子を知ることができます。
  間歩の内部(旧坑道)

ひおい抗
鉱脈に沿って掘り進んだ
小さな坑道
同じくひおい抗
坑道の天井が補強されている
ところもあります
出口付近の小規模な間歩
 
  同じく小規模な間歩
出口に向かう栃細谷新抗


■佐毘売山神社
  鉱山の守り神、金山彦命(かなやまひこのみこと)を祀る神社。
  世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」の一部です。

  別名を「山神社」と言い、
  鉱夫たちや里人からは「山神さん」と呼ばれていました。

  石見銀山で最大の神社であり、
  山神社としては国内最大級の社殿を持っています。


佐毘売山神社に上がる石段

■福神山間歩
  この間歩は、採掘にあたった山師個人が経営した
  「自分山」のものですが、一時期、
  代官所直営の「御直山」の坑道になったこともありました。

  坑口が3か所あり、上段の坑は空気抜き坑、
  下段の2坑は中でつながり、
  道路の下2mほどのところを通って銀山川の下をくぐり、
  後ろにそびえる銀山の最高地点「仙ノ山」の方向に
  堀り進んだと伝えられています。
  仙ノ山と逆方向へ向かって坑口が開いている珍しい間歩です。


  福神山間歩

■清水谷製錬所跡
  谷の傾斜を利用して造られた明治時代の近代的な製錬所跡。
  高さ33m、面積6,750㎡。
  8段の石垣の上にそれぞれ建物が設置され、
  上から下へ鉱石を降ろしながら、製錬が行われました。
  製錬所の建物は残っておらず、
  今は草木に覆われた遺跡となっています。

  明治19年(1886年)、大阪の藤田組が千ノ山の福石鉱床の
  金銀含有率と量に着目して銀生産を計画。
  近代的な製錬所を建設して、
  明治28年(1895年)4月から操業を開始しました。

  収銀湿式製錬法という最新技術が投入されましたが、
  鉱石の品質が予想より悪く、
  設備の銀の製錬能力も十分でなかったことで不採算となり、
  操業開始からわずか1年半で操業を停止しました。
  清水谷製錬所跡

操業当時の清水谷製錬所
現地の案内板より


■下河原吹屋跡
  平成3年の発掘調査によって初めて発見された
  17世紀初頭の銀製錬遺跡。

  ここでは鉛を利用した灰吹法と呼ばれる製錬法で
  銀を取り出していました。
  この技法によって銀の製錬技術は飛躍的に発展し、
  現在でもその原理が使われています。
  遺跡には、銀鉱石を砕いた要石や
  選別のために水を溜めていた跡などがあります。


  下河原吹屋跡

■渡辺家住宅
  文化8年(1811年)に建てられた
  銀山地区内に唯一現存する武家屋敷。
  国指定史跡。

  主屋は木造瓦葺き一部二階建切妻造。
  延べ床面積約223㎡。
  土塀を巡らせて前庭を設け、
  少し奥まった位置に主屋や土蔵を配置する
  当時の武家屋敷の特徴を伝えています。
式台玄関

  前庭

納戸から土間方向


床の間


  煙出し

※移動途中に見かけたもの

まったりするにゃんこ



まったりするにゃんこPART2



  大田市のマスコットキャラクター
  「らとちゃん」登場
  石見銀山公園にて

■羅漢寺(五百羅漢)
  世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」の構成資産の一部。

  五百羅漢は、大森地区の観世音寺住職・月海浄印が、
  銀山で働いていて亡くなられた方の供養や
  労働者の安全のために発願され、
  25年の歳月をかけて明和3年(1766年)に完成しました。
  羅漢寺はこの五百羅漢を護るために建立されました。

  羅漢寺の川向かいの岩山に三つの石窟が掘られ、
  中央石窟に釈迦如来・文珠菩薩・普賢菩薩の釈迦三尊、
  左窟に阿南尊者を中心に250躯、
  右窟に日蓮尊者を中心に250躯が安置されています。

  羅漢像はそのほとんどが座像で高さは36㎝から47㎝。
  極めて綿密に刻まれ、極彩豊かに塗りあがっています。
  五百羅漢が安置されている石窟



  ここでレンタサイクルを返却し、大森地区へ。
  まずは昼食をとります。


■昼食
  「cafe コメマメイモ」。
  古民家を改造したおしゃれな雰囲気のお店「群言堂」内にあります。
  古きよき時代の雰囲気を存分に残しながら、
  洗練された空間のお店です。
  店内には、ギャラリーや雑貨を販売しているショップなどもあります。

  店の看板メニュー「一汁一穀定食」を注文。
  スープの種類とパンかご飯を選べます。
  「コメマメイモの里山の幸スープ」と「ご飯(五分つき米)」を選択。
  素朴で家庭的な感じのメニューでしたが、とてもおいしかったです。
一汁一穀定食

ご飯(五分つき米)
栄養価たっぷりの
地元の山で育った元気なお米

  コメマメイモの里山の幸スープ
  ジャガイモとお豆腐をペーストした
  コクのあるクリーミーなスープ


  昼食の後は大森地区の観光。


■大森の町並み
  大森は石見銀山の中心の町。
  この地区の町並みは、二代目奉行・竹村丹後守が
  代官所を現位置に移転してから形成されました。

  代官所の周りには役所や郷宿が置かれましたが、
  武家屋敷と町人町の明確な町割りをしなかったため、
  武家屋敷と町家が混在して建てられました。

  保存整備事業により、
  これらの家が軒を連ねる町並みが状態よく残っており、
  数々の古社・古寺なども残されています。

  歴史的文化的景観を形成するこの地区は、
  国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。



  石州瓦の赤い屋根が特徴
  観世音寺より

■旧河島家住宅
  重要伝統的建造物群保存地区内の代官所地役人屋敷。
  大田市指定史跡。

  地役人とは大森代官所に勤めた役人(武士)のことで、
  銀山経営や銀山領内の支配にあたっていました。
  河島家は、慶長15年(1610年)、
  銀山奉行・大久保石見守に召し抱えられ、
  代々地役人を勤めました。

  住まいは通りに面して門塀を設けており、
  門をくぐると式台玄関を備える主屋が正面に見えます。
  主屋は平屋建てのように見えますが、
  土間と納戸の上に二階が設けられ、
  接客用の座敷は庭に面しています。
  土蔵、離れ、物置や風呂場などの付属屋は、
  主屋の背後に配置されていました。
  
  現存する主屋は、
  寛政12年(1800年)の大森町の大火後に再建され、
  文政8年(1825年)までの間に増築されたと推定されています。
  式台玄関
玄関から座敷中ノ間方向

中ノ間

  二階部屋

座敷奥ノ間





  台所


■熊谷家住宅
  石見銀山御料内の最も有力な商家。
  寛政12年(1800年)の大森町の大火後、
  享和元年(1801年)に建築されました。
  国指定重要文化財。

  熊谷家は、家業である銀山経営・金融業・酒造業のほか、
  代官所に納める年貢銀を秤量・検査する掛屋、
  幕府巡検使の公用宿(郷宿)、
  代官所の御用達などを務めました。

  敷地は約1500㎡。
  約650㎡の主屋と5つの蔵と納屋からなる大規模な商家建築。
  その中に江戸、明治、大正、昭和時代の多くの家財道具が
  展示されています。
  奥の間
  役人の接待や町年寄の寄合など
  公的な場として使われました
北道具蔵(左手前)と衣装蔵(奥)

地下蔵
居間の床下に設けられています

耐火金庫の類と考えられています
東道具蔵前座敷


  主屋二階


台所の板の間


台所





■大森代官所跡(石見銀山資料館)
  江戸幕府が石見銀山領の支配の拠点とした施設の跡。
  国指定史跡。

  文化12年(1815年)建築の表門及び門長屋が現存しています。
  敷地内の建物は明治35年(1902年)に建てられた旧邇摩郡役所で、
  現在は石見銀山資料館として利用されています。

  館内には、絵巻物や古文書、銀採鉱道具や銀鉱石など、
  石見銀山に関する実物資料が展示されています。



■城上神社
  祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)。
  現在の拝殿は文化9年(1812年)の再建。
  島根県指定有形文化財。

  拝殿の鏡天井にある極彩色の「鳴き龍」は、
  三瓶山麓の絵師・梶谷円林斉守休によって描かれました。
  絵の真下に立って拍手を打つと、
  まるで龍が鳴いているかのように澄んだ音が鳴り響きます。
拝殿 天井絵「鳴き龍」


  石見銀山の観光はこれにて終了。
  鄙びた日本旅館が両側に立地する情緒漂う街並みで、
  世界遺産の一部である温泉津の温泉街を経由して、
  本日の宿泊地・浜田に向かいました。


■本日のお宿
  「グリーンリッチホテル浜田駅前」。
  快適さと機能性を兼ね備えたデザイナーズホテル。
  平成20年オープン。
  JR浜田駅より徒歩約2分で、ビジネスにも観光にも最適です。
  1階には人工ながら炭酸カルシウム温泉の大浴場を
  完備しています。


  ホテルでのんびりした後は、
  石見神楽を見るために三宮神社へ。


■三宮神社(石見神楽)
  石見神楽は、島根県西部の石見地方に古くから伝わる伝統芸能。
  その由来は古く、室町時代には石見一円で農神に奉納する
  田楽系の神楽が行われていたといわれています。

  もともとは神の御心を和ませるという神職による神事でしたが、
  明治政府から神職の演舞を禁止するお達しが出たことにより、
  神職から土地の人々に受け継がれ、
  民俗芸能として演舞されるようになりました。

  演目は、神前を清める神事舞から物語性のある能舞まで、
  その数は30数種にものぼります。

  鮮やかな刺繍で飾られた衣装、響き渡る太鼓や笛のお囃子、
  そして勇壮華麗な舞は見るものを魅了します。


  今回の公演団体は両谷神楽社中。
  演目は、八幡、恵比須、大蛇。


★八幡
  武勇の神、八幡宮の祭神である八幡麻呂を讃える神楽。
  九州豊前の国、宇佐八幡宮に祀られている
  八幡麻呂という神様が、異国から日本に飛来した
  第六天の悪魔王が人々を殺害しているのを聞き、
  自ら出向いて神通の弓と方便の矢をもって見事退治する物語。
  正義(神)対、悪(鬼)という石見神楽の代表的な展開の神楽です。
  舞台

  神楽囃子


八幡麻呂登場

第六天の悪魔王登場
対峙する二人

対峙する二人
いざ対決

八幡麻呂優勢か!
激しい戦い


見事退治!


★恵比須
  出雲の国美保神社の御祭神、
  恵比須様が磯辺で釣りをしている御姿を舞ったもの。
  にこやかに鯛を釣る恵比須様の様子が面白おかしく、
  心の和む演目。
  恵比須様は昔から漁業、商業の神様として崇拝されています。
  恵比須様のコミカルな動きは子ども達にも大人気!
  鯛釣りの前に撒き餌とみたてて、福飴を撒いちゃいます。
恵比須様登場

にこやかな舞
釣りの準備

撒き餌を撒きます
(飴や一口チョコなど)
奥からさらに撒き餌を持ってきました
(今度はうまい棒)
針に餌を付けています
釣りの開始


立派な鯛を釣りあげました


★大蛇(おろち)
  石見神楽の代名詞にもなっている壮大なスケールの演目。
  悪業のため高天原を追放された須佐之男命が、
  出雲の国・斐川にさしかかると、
  老夫婦と一人の娘(稲田姫)が嘆き悲しんでいました。
  理由を尋ねると、夫婦には8人の娘がいましたが、
  八岐(やまた)の大蛇が毎年一人ずつ娘をさらっていき、
  残るのはこの稲田姫だけとなってしまいました。
  稲田姫もやがてその大蛇にさらわれてしまうと言います。
  須佐之男命は、老夫婦に毒酒を作る事を命じ、
  大蛇がこれを飲んで酔い伏せたところを退治するという演目です。
須佐之男命登場

嘆き悲しむ老夫婦と稲田姫

毒酒を作ります

大蛇登場

恐ろしい形相

とぐろも巻きます

酒を飲んで酔っ払っています

客席にも乱入してきました

戦う須佐之男命

戦う須佐之男命PART2

時にはピンチも

火を噴く大蛇

最後のとどめ


討ち取ったり!


  演舞の後、抽選会があり、何と一等が当たりました。
  ちなみに賞品は石見神楽の扇子でした。


  浜田駅前に戻り、遅い夕食。


■夕食
  ホテル近くにある「旬宝」。
  浜田漁港で水揚げされた旬の魚をはじめ、
  150種類の和洋中メニューが揃っています。
  アルコールの種類も豊富。

  「浜田港四季のお魚」認証店です。
   ※「浜田港四季のお魚」を主食材としたメニューを
     予約なしで提供可能なお店

  料理は以下のものを注文。

   ・浜田特産赤天フライ
     浜田のB級グルメ
     七厘で炙って食べます
   ・あじ刺身
     さすが浜田産、よく脂がのっています
     旬の時期はトロにも匹敵すると言われています
   ・のどぐろ刺身
     こちらも脂のノリが良く、トロトロの食感でした
   ・らっきょう漬
     シャキシャキの歯応えで爽やかな酸味
   ・かさご唐揚げ
     浜田産のかさご
     頭から骨まで全て食べられます
   ・のどぐろ煮付
     ふっくらして、とてもやわらか
     まさに絶品!
   ・石焼鯛茶漬け
     さっぱりしていますが深い味わい


  お通し
  まぐろの角煮
  浜田特産赤天フライ
 
炭火で炙ります

「あじ」と「のどぐろ」の刺身

  あじ刺身

のどぐろ刺身

らっきょう漬

  かさご唐揚げ

のどぐろ煮付

石焼鯛茶漬け




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