島根旅行記 四日目(2015/09/13)


■朝食
  ホテルにて和洋ビュッフェ。
  1Fロビーが朝食会場になっています。
  席に限りがあるので時間予約制です。


  今日の観光は浜田市郊外にあるしまね海洋館アクアスから。


■しまね海洋館アクアス
  平成12年にオープンした中四国地方最大級の水族館。
  約400種1万点の生物が展示されています。

  島根の神話に登場するサメ(地方名:ワニ)を展示する
  神話の海(サメ大水槽)、アシカ・アザラシプール、
  4種のペンギンを展示するペンギン館のほか、
  趣向を凝らした様々なテーマの水槽があります。

  また、大手携帯会社のCMに起用され、
  全国的にも有名となったシロイルカによるパフォーマンス
  「バブルリング」や「マジックリング」は必見。
  このリングを観た人には幸せが訪れるといわれています。






  海底トンネル
神話の海(サメ大水槽)

ペンギン館

空飛ぶペンギン

  アシカ・アザラシプール

  幸せのバブルリング

あいさつ代わりの二頭によるバブルリング

頭の上にある鼻の孔から作る
マジックリング



連続バブルリング



  バイバイ



  続いて山陰の小京都・津和野へ向かいます。
  約80kmの道のりです。
  まずは津和野駅へ。


■津和野駅(SL)
  大正11年(1922年)開業。
  構内には蒸気機関車用の転車台や、
  静態保存されているD51形蒸気機関車があります。
  C57形蒸気機関車が牽引する「SLやまぐち号」の終着駅。


  駅前のD51を撮影している時、
  SLやまぐち号がもうすぐ到着するとの情報を聞き、
  急いで駅の方へ。
  走行するSLを初めて見ました。
 
D51形蒸気機関車

  焚ロ戸

運転席
圧力計とバルブ


SLやまぐち号が入ってきました


■昼食
  津和野名物「うずめ飯」を食べるために「ふる里」へ。

  うずめ飯は日本五大銘飯のひとつ。
  見た目は出汁をかけた白いご飯の上に海苔と山葵。
  ところが、その中身をすくってみると
  豆腐や三つ葉、椎茸などの具が次々に現れます。

  小さく刻んだ具がご飯の下に「うずめ」てあることから、
  その名がつきました。
  起源は江戸時代中期頃といわれ、
  贅沢を嫌った津和野藩主に見つからないように、
  おかずをご飯の中に隠して食べたという説など、
  諸説あります。
見た目はシンプルなお茶漬け


ご飯の下から具が現れます


  刺身こんにゃく


■本町通り
  津和野観光のメインストリート・殿町通りに続く通り。
  伝統建築を引き立てる風情ある石畳となっています。

  江戸時代は殿町までが武家町、本町から北が町人町とされ、
  惣門で厳重に隔てられていました。
  道幅は殿町より狭くしてあり、
  江戸時代から道幅が変わっていないのも特徴の一つです。

  殿町は武家関係の建物が多いのですが、
  この通りは石州瓦の大柄な商家が残っています。
  現在残る建物の多くは、
  嘉永6年(1853年)の大火後に建てられたものです。
  橋本酒造場(国登録有形文化財)

河田家住宅(国登録有形文化財)

古橋酒造場(国登録有形文化財)

  ささや呉服店(国登録有形文化財)


旧布施時計店(国登録有形文化財)





俵種苗店(国登録有形文化財) 分銅屋(国登録有形文化財)

河田商店(国登録有形文化財)


財間家住宅(国登録有形文化財)





■殿町通り
  古い歴史をもつ城下町・津和野の中で、
  最も古いたたずまいを残す通り。
  かつての武家町で、
  白壁と格子窓が残る藩校跡や
  武家屋敷門などが建ち並んでいます。

  通りに沿って流れる掘割には白壁や並木の緑が映り込み、
  町のシンボルである色鮮やかな鯉が泳いでいます。
  5月下旬~6月中旬には約3000本もの花菖蒲が咲き誇ります。

■津和野カトリック教会
  昭和6年(1931年)、
  ドイツ人ヴェケレーによって建てられました。
  ゴシック様式の建物ですが、内部は教会には珍しい畳敷きで、
  色鮮やかなステンドグラスが印象的です。
  国登録有形文化財。

  明治元年(1868年)~明治5年(1872年)、
  「浦上四番崩れ」という弾圧によって、
  長崎浦上の隠れキリシタンたちは津和野の乙女峠に
  流刑されてきました。
  キリシタンたちは改宗を求められましたが、
  彼らの堅い信仰は揺るがず、
  拷問による棄教が強要されるようになりました。

  そのような迫害により殉教した者も少なくなく、
  この教会はその慰霊のため建てられました。


■藩校養老館
  天明6年(1786年)、津和野藩八代藩主・亀井矩賢公が開設。
  嘉永6年(1853年)の大火で焼失しましたが、
  安政2年(1855年)、十一代藩主・亀井茲監公が再建。
  かつては、文学教場、寄宿舎、武器工場、弾薬庫、
  馬場などもありましたが、
  現在残っているのは武術教場と御書物蔵だけです。
  島根県指定史跡。

  津和野藩は4万3千石の小藩でしたが、
  儒学、漢学、礼学、数学、兵学、国学に加え、
  医学や蘭医科も設置、人材育成に力を注ぎました。
  ここから哲学者・西周や文豪・森鴎外など、
  多くの逸材を輩出しています。
剣術教場・居合柔術教場と掘割

門より左が剣術教場・居合柔術教場、右が槍術教場


御書物蔵


■大岡家老門
  津和野藩で家老職を務めた大岡家の表門。
  敷地内には津和野町役場津和野庁舎が建っています。


■多胡家老門
  亀井氏11代にわたって筆頭家老を務めた多胡家の表門。
  風格ある門の両脇に番所や物見部屋が残されています。
  島根県指定有形文化財。
大岡家老門


多胡家老門
番所は改修工事中でした

■太皷谷稲成神社
  安永2年(1773年)、津和野藩七代藩主・亀井矩貞公が
  津和野藩の安穏鎮護と領民の安寧を祈願するため、
  京都伏見稲荷を勧請したのが始まり。
  祭神は宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)と
  伊弉冉尊(いざなみのみこと)。

  日本五大稲荷の一つに数えられており、
  一般には稲荷と書きますが、
  ここは全国でただ一つ稲成と書きます。
  亀井矩貞公の思いにより、お願い事がよく叶う、
  つまり願望成就・大願成就などの意味が込められています。

  津和野の町から城山の方向を眺めると、
  奉納された約1000本の朱塗りの鳥居が
  トンネルのように立ち並んでいます。
  本殿

表参道


神門

  おきつねさま
  神様の神使です

■乙女峠マリア聖堂
  昭和26年(1948年)に津和野カトリック教会の
  岡崎祐次郎神父が殉教者の霊を慰めるために
  乙女山の中腹、光淋寺跡に建立した聖堂。

  明治元年(1868年)、明治新政府の隠れキリシタン弾圧により、
  長崎浦上のキリシタン163名はここ光淋寺に預けられ、
  津和野藩により改宗の説諭が行われました。
  しかし、棄教する者はなく、
  方針を改めた津和野藩は信徒に対して
  日夜残酷苛烈な拷問にかけて改宗を迫りました。
  その際に聖母マリアが現れ、
  信徒に語りかけ励ましたという伝説もあります。
  
  殉教したもの36名、
  信仰を捨てずに生きながらえた者68名、
  拷問に耐えかねて信仰を捨てた者59名。

  明治6年(1873年)の禁教解除により、
  信徒たちは釈放されて浦上へと帰されました。

聖堂内部

「三尺牢」に入った安太郎と
降臨した聖母マリアの像
  移動途中、SLやまぐち号が発車準備をしていたので、
  再び津和野駅に隣接する駐車場へ。


   発車準備をするSLやまぐち号

   銘板

  これにて今回の旅の行程はすべて終了。
  萩・石見空港に向かいます。


  萩・石見空港には「しまねっこ空の別荘」がありました。


■夕食
  空港内の「キッチンそらら」へ。
  「牛丼定食」を注文。
  東京食肉市場まつりでグランドチャンピオンに
  選ばれたこともある地元松永牧場の牛肉を使用しています。


■帰着
  萩・石見空港18:15発ANA1104便に搭乗。
  羽田空港には19:50に到着。
  空港リムジンバスで横浜に帰りました。


■感想
  島根県を端から端まで横断する移動距離の長い旅でした。
  山間部には行けませんでしたが、
  島根の主要な観光地を巡ることができました。
  一番良かったのは石見神楽。
  迫力があり、とてもすばらしかったです。

  今回の旅では、プレミアム宿泊券、プレミアムおみやげ券、
  しまねカードを事前に入手し、さらにJAFカードを駆使して
  旅行費用をかなり安くすることができました。
  ANA1104便






旅程図へ

三日目へ

旅行記一覧に戻る