会津旅行記 三日目(2014/09/22)


■朝食
  ホテル1階「レストランマンマミーア」にて和洋食ビュッフェ。
  20種類以上のメニューを日替わりでご用意。
  地元会津でとれた甘くておいしい「会津米」が好評です。

  今日はお昼にがっつり食べるので、朝食は控えめ。
  会津のB級グルメ「カレー焼きそば」も食べました。
カレー焼きそば


  朝食後、ホテル前の野口英世青春広場へ。


■野口英世青春広場
  平成17年、まちなか賑わいの拠点としてオープン。
  世界的細菌学者だった野口英世博士の銅像があります。
  情報発信スペースや会津ならではのお店が入る
  Dr.野口館という複合施設も営業中です。

  野口英世博士は明治9年(1876年)に
  現在の猪苗代町で生まれました。
  1歳半の頃、大火傷を負って左手が不自由になりましたが、
  15歳の時に手術を受けて左手が少し使えるようになります。
  その時に医学の素晴らしさを知って、
  医者への道を志すことになりました。

  その後、黄熱病などの研究に尽力し、
  黄熱病の病原体を発見するなど数々の功績を残しましたが、
  自らも黄熱病に感染して逝去。
  享年51歳。


  部屋に戻り、準備を整えて出発。
  会津若松から約30km南の大内宿を目指します。
  会津若松市街を抜けると田んぼが黄金色に染まり、
  美しい実りの風景が広がっていました。


■大内宿
  江戸時代の町並みを今に残す宿場町。
  会津若松と日光を結ぶ下野街道(会津西街道)にあり、
  若松城下から2番目の宿場として1640年頃に整備されました。
  街道の両脇に茅葺き屋根の民家が並び、
  江戸へ向かう大名や旅人の宿駅として
  重要な役割を果たしていました。

  戊辰戦争では、大内宿の近くでも激しい戦闘が行われましたが、
  当時の名主による死を覚悟した抵抗によって、
  焼き討ちなどの戦火を免れたと言われています。

  30軒以上の茅葺き屋根の民家が並ぶ様子は極めて珍しく、
  昭和56年に国の重要伝統的建造物群保存地区の
  指定を受けました。
  民宿や土産物屋、蕎麦屋などが多数立ち並び、
  箸の代わりにネギを用いて蕎麦を食べる「高遠そば」が有名です。


   セピア色にしてみると
  江戸時代にタイムスリップしたようです


本陣(復元)

  べったら餅



■芦ノ牧温泉駅
  会津鉄道の途中駅。
  名誉駅長の「ばす」(16歳:人の年齢では93歳)と
  見習い駅員「らぶ」(5ヶ月)の
  2匹の猫が勤務しています。
  
  「ばす」は、平成11年に地元の子供たちに保護され、
  この駅に連れてきたところ、
  そのまま住み着いてしまったそうです。
  平成20年4月、名誉駅長に任命。
  平成26年7月には見習い駅員「らぶ」が着任。

  面会に際して、フラッシュ撮影や抱き上げ、
  無理な追い回しなどのマナー違反が後を絶たず、
  これらの行為を含めて
  普通の写真撮影も一切禁止されています。
  遠くから暖かく見守ってあげましょう。


 駅に掲示されていた「ばす」のポスター
 実物は撮影禁止なので・・・


  国道118号線を走り、会津若松に戻ります。


■中野竹子殉節之地
  戊辰戦争において、
  娘子軍隊長・中野竹子が奮戦し、戦死した地。
  碑の裏面には、出陣の際に薙刀に結び付けていたという
  辞世の句「武士(もののふ)の 猛き心にくらぶれば
  数にも入らぬ 我が身ながらも」が刻まれています。

  慶応4年(1868年)8月23日、
  鶴ヶ城下に新政府軍接近の早鐘が鳴り響きました。
  竹子は母・妹とともに籠城するために鶴ヶ城に向かいます。
  しかし、既に閉門され城内に入ることができなかったため、
  日頃鍛錬を重ねた薙刀道場の娘たちとともに
  娘子軍を自発的に結成しました。

  竹子たちは、藩主・容保公の義姉・照姫が
  坂下宿に避難したと聞き、護衛すべく坂下宿へ向かいます。
  しかし、それが誤報と分かり、
  途中で萱野権兵衛率いる衝峰隊に従軍を願い出て、
  行動を共にすることになりました。

  8月25日夕方、柳橋(涙橋)付近で新政府軍と交戦。
  竹子は真っ先に薙刀を振るい奮戦しますが、
  新政府軍の銃弾を額に受けてしまいます。
  竹子は「敵に首級を渡してはならぬ」と妹に介錯を依頼。
  享年22歳。(18、20という説もあり)


■如来堂
  新選組殉難の地。
  会津に残留し徹底抗戦を主張する斎藤一を中心とした
  新選組20余人が本陣を構えた地。

  母成峠の戦いに敗れた新選組は、
  北へ向かおうとする土方歳三らと
  会津に留まろうとする斎藤一らに分かれました。

  このとき斎藤一は、
  「今、落城せんとするのを見て、志を捨て去る、誠義にあらず」
  と同意した隊士とともに会津に残りました。

  慶応4年(1868年)9月4日、
  新政府軍は如来堂に立てこもる新選組を攻撃し、
  激しい戦いを繰り広げました。
  ここに残った新選組は、
  斎藤一ら数名を残してほぼ全員が討死しました。


 中野竹子像

 如来堂

  昼食は会津のご当地B級グルメ「ソースかつ丼」を食べました。


■昼食
  「お食事処むらい」。
  ボリューム感たっぷりの丼で土日は行列必至の人気店。
  平成25年にバイク王が実施した
  「バイクに乗って食べに行きたい
   イチオシのグルメ&スイーツランキング」で
  1位になったお店です。
  納得できない食材は使わない」というこだわりで、
  福島県産の吟味された豚肉、会津産コシヒカリを使用。
  上品な甘みに酸味のあるソースは自家製で無添加です。

  会津のソースかつ丼は、
  千切りキャベツとソースに浸した揚げたてトンカツを特徴とし、
  大正期から庶民の味として親しまれてきた伝統の味です。

  「ロースかつ丼」を注文。
  丼からはみ出る大きさ、しかも厚さ3cm。
  ボリュームに圧倒されました。
  衣はサクサク、肉は厚いですがとてもやわらかくてジューシー。

  最初はおいしくいただいていたのですが、
  後半は拷問に近い感じ(←ごめんなさい・・・)
  普通の男性の方も残していました。
  わが夫婦も当然食べきれません。
  パックを購入し、お持ち帰りしました。
  (移動の合間に食べましたが、冷めてもおいしかったです)


  カツは2段になっています



■野口英世青春館
  野口英世博士が左手の手術を受け、
  16歳~19歳までを書生として医学の基礎を学んだ「会陽医院」。
  その建物をそのままを活かし、一階が喫茶「會津壱番館」、
  二階が資料館「野口英世青春館」になっています。
  明治17年(1884年)に建てられた蔵造り洋館です。
  
  「野口英世青春館」には、
  野口博士が少年の頃に使っていた机や愛用品などがあり、
  友人たちと撮った写真や成績表なども展示されています。
  また、顕微鏡を初めて覗かせてもらった時の話や
  初恋の人とのエピソードも紹介されており、
  当時の素顔を知ることができます。

  「會津壱番館」は、
  アンティーク家具が配され、時間がゆっくりと流れる店内。
  野口博士とゆかりのある国のコーヒー豆を使用。
  豆一粒一粒を選別し、
  悪い豆を取り除いてから丹念に焙煎した
  こだわりのコーヒーを飲むことができます。



■會津藩校 日新館
  日新館は、人材の育成を目的に
  享和3年(1803年)に建設された会津藩の最高学府。
  藩士の子弟は10歳で入学して学問や武道に励み、
  心身の鍛錬に努めました。
  約26,000㎡の敷地に武道場や天文台、
  日本最古のプールといわれる水練水馬池などがあり、
  山本覚馬や白虎隊の少年達をはじめ、
  多くの優秀な人材を輩出。
  覚馬はのちに、この日新館で蘭学の教授も務めました。

  慶応4年(1868年)、戊辰戦争により校舎は焼失。
  現存するのは鶴ヶ城西側に残る天文台跡のみです。

  実際の藩校は焼失したものの、
  藩校に関する図面などの資料が残っていたため、
  当時の施設を忠実に復元されたのが現在の日新館です。
  壮大な江戸建築や当時の学習の様子を観覧できるほか、
  弓道や座禅などの各種武士道体験や、
  会津の縁起物「赤べこ」などの絵付け体験も楽しめます。





 
山川健次郎像
日新館きっての秀才で
戊辰戦争後、アメリカに留学
日本人初の博士号を取得しました
南門(入口)

戟門
太鼓を置き、これを打ち鳴らして
時を知らせていました
素読所
「論語」等の素読(棒読み)をしました

天文学の学習

  水練水馬池
  鎧兜を身に着けたまま
  泳ぐ練習をしていました
大成殿
儒教の祖である孔子像を祀っています



武講
兵学を研究するところ
城の造り方や軍事教練が行われました

  天文台


  続いて会津若松を離れ、裏磐梯に向かってドライブです。


■磐梯山ゴールドライン
  大小さまざまの湖沼群が点在する「磐梯高原」と
  歴史ロマンあふれる「会津」をつなぐ道路。
  全長17.6km。
  かつては有料道路でしたが、
  平成25年7月25日から無料開放されました。

  荒々しい磐梯山の噴火口が望める黄金平や
  広大な猪苗代湖のパノラマが広がる山湖台など
  見どころが多い道路です。
  猪苗代側の穏やかな山容や裏磐梯の荒々しい火口など、
  大自然の力を感じながらドライブすることができます。
  滑滝展望台
  滝は小さいので
  見つけるのにやや時間を要します
  とび滝展望台
  樹木の間をくぐり抜け
  岩肌を這うように流れ落ちる
  とび滝を遠望することができます
山湖台より猪苗代湖を望む

黄金平
磐梯山の爆烈火口壁が間近に見られ
大自然のもつ威力と魅力が
最も感じられるところです
磐梯山の荒々しい山肌
(黄金平より)



  本日の観光はこれにて終了。
  桧原湖近くのホテルに向かいます。


 まぼろしの滝
 最近になって遊歩道が付けられ
 滝まで入られるようになりました

■本日のお宿
  「星野リゾート 裏磐梯ホテル」。
  日本百名山の一つ「磐梯山」の荒々しい稜線望む
  裏磐梯・桧原湖畔に建つ高原リゾートホテル。
  磐梯山登山や五色沼・桧原湖・中津川渓谷のトレッキング・散策、
  また会津若松や喜多方への周辺観光に最適です。

  森の静寂に囲まれた部屋、
  桧原湖を望むことのできる絶景露天天然温泉、
  東北の名物料理を楽しむことができます。

  とてもきれいなホテルで、スタッフの方々の対応も良かったです。
ホテル玄関先から磐梯山を望む


  レイクビューのお部屋
  (翌日撮影)

■夕食
  ホテル1階の「ヒバラダイニング」にてビュッフェ。
  「KOREZO東北」をコンセプトに
  東北地方の食を体感できるレストラン。
  東北6県それぞれの名物料理や季節限定の創作料理など、
  会津・東北地方の彩り豊かな全50種類の料理を
  堪能することができます。

  山形の「芋煮」、秋田の「きりたんぽ鍋」などを食す。
  おいしかったので、いろいろお代わりしました。
  米沢牛

牛たん

芋煮

  馬刺し

喜多方ラーメン きりたんぽ鍋



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