宮島・山口旅行記 四日目(2017/09/24)


■朝食
  ホテル1階のレストラン「フローラ」にて、
  和洋折衷のビュッフェ。




今日は下関の観光をした後、
関門海峡を渡って北九州に行きます。


まずは、本陣伊藤邸跡から。

■本陣伊藤邸跡
  伊藤邸は鎌倉時代から続いた名家で、
  江戸期には大年寄として町政を司り、
  長府藩の本陣にもなっていました。

  また、下関を代表する豪商であり、
  幕末の攘夷志士らの活動を
  様々な側面から支援していました。

  下関に何度も訪れていた坂本龍馬には
  屋敷の一部を貸与して住まわせるなど、
  特に深い親交がありました。

  龍馬が京都の近江屋で暗殺された時、
  妻のお龍はその知らせをこの伊藤邸で
  受け取っています。


■赤間神宮
  文治元年(1185年)の壇ノ浦の戦いで、
  わずか8歳で入水崩御された
  幼帝・安徳天皇を祀る神社。

  江戸時代までは阿弥陀寺と称し、
  仏式により祀られていましたが、
  明治の神仏分離により寺は廃されて
  神社となり「天皇社」と改称。
  その後、赤間宮に改称した後、
  昭和15年(1940年)に赤間神宮となりました。

  境内には平家一門の墓(七盛塚)や
  小泉八雲の怪談で有名な「耳なし芳一」の
  芳一堂などがあります。
  宝物殿には「長門本平家物語」や
  「源平合戦図」などの貴重な資料が
  所蔵されています。
水天門

大安殿




琵琶法師・芳一を祀る「芳一堂」

■前田砲台跡
  幕末に長州藩が攘夷戦争に備えて構築した
  十数カ所の砲台の中で
  中心的な役割を担った砲台のひとつ。
  青銅製の大砲20門を装備していました。
  国指定史跡。

  幕末、長州藩は攘夷の方針を固め、
  文久3年(1863年)5月、関門海峡を航行中の
  アメリカ・フランス・オランダの艦船に対して
  砲撃を行い、戦果をあげました。

  約半月後の6月、報復としてアメリカ軍艦が
  関門海峡内に停泊中の長州軍艦を砲撃。
  報復の戦果をあげました。

  その4日後、フランス軍艦は
  砲台に対して猛砲撃を加えて沈黙させ、
  陸戦隊を上陸させて砲台を破壊。

  長州藩は破壊された砲台を修復しますが、
  元治元年(1864年)8月、
  イギリス・アメリカ・フランス・オランダの
  四国連合艦隊の攻撃を受け、
  再び陸戦隊によって砲台は破壊されました。

  奇しくもこれが西洋の軍事力の前に
  攘夷が困難なことを認識するきっかけとなり、
  倒幕・開国を目指すターニングポイントと
  なったのです。
前田砲台が占拠されたときの写真
(現地案内板より)
■功山寺
  曹洞宗の寺。山号は金山。
  開創は嘉暦2年(1327年)。

  虚庵玄寂を開山とし、長福寺として創建。
  足利氏、大内氏の外護で隆盛を誇りましたが、
  大内氏が滅亡してから荒廃。
  慶長7年(1602年)、長府藩主・毛利秀元公が復興し、
  毛利家の菩提寺とするにあたって
  功山寺と改称しました。

  鎌倉時代創建、唐様建築の美しさを保つ仏殿は、
  わが国最古の禅寺様式を残しており
  国宝に指定されています。

  幕末の文久3年(1863年)には、
  七卿落ちで京を逃れた7名の公卿のうち5名が滞在。
  
  元治元年(1865年)には
  高杉晋作が伊藤博文率いる力士隊と
  石川小五郎率いる遊撃隊ら、
  わずか80人程度で挙兵した地(功山寺挙兵)です。
山門(下関市指定文化財)


仏殿(国宝)


高杉晋作挙兵(回天義挙)像
■長府毛利邸
  長府藩の最後の藩主であり、豊浦藩知事であった
  長府毛利家第14代当主・毛利元敏公が、
  東京から帰住して建てた邸宅。
  明治36年(1903年)完成。

  約1万㎡の敷地は石垣と白壁に囲まれており、
  武家屋敷造りの母屋がある区画が一段高く
  配されるなど城郭的な構造をしています。

  明治35年(1902年)には、
  熊本で行われる陸軍大演習を視察する際の
  明治天皇の行在所としても使われ、
  一部の部屋は当時のまま残されています。

  邸内には書院庭園・池泉回遊式庭園・枯山水庭園の
  3つの庭が作られています。
  
表門

長府藩初代藩主・毛利秀元公像

武家屋敷造りの母屋

母屋の内部

書院庭園

明治天皇御宿泊の間


茶室・淵黙庵
■みもすそ川公園(壇ノ浦古戦場跡、壇ノ浦砲台跡)
  関門海峡の景色を望むことができる公園。
  公園前に広がる海は
  関門海峡の一番狭まったところで、幅約600m。
  「早鞆の瀬戸」といわれ、潮の流れが速く、
  潮流の変化が激しい海の難所です。

  ここは源平壇ノ浦の戦いや
  幕末の攘夷戦の古戦場であるため、
  源義経と平知盛の像や
  長州砲のレプリカなどがあります。

  壇ノ浦の戦いは元暦2年(1185年)に行われた
  源平合戦の最後の舞台。

  平家は香川県の屋島で敗戦した後、
  下関市の彦島にいましたが、
  それを源氏は追いかけ、壇ノ浦で戦いになりました。

  初めは平家に有利でしたが、
  戦いの途中で潮流が変わり、形勢が逆転。
  流れに乗った源氏が勝利を収めました。

  この合戦の結果、
  安徳天皇をはじめ平家の一門は入水して果て、
  平家は滅亡しました。

  壇ノ浦砲台は
  幕末に長州藩が築いた砲台のひとつ。
  攘夷派の長州藩は、文久3年(1863年)、
  関門海峡を通る外国船を砲台から攻撃。
  その翌年、英米仏蘭の連合艦隊が報復攻撃。
  砲台は破壊され、占拠されました。
関門橋(全長:1068m、主塔高さ:海面上141m)
海面に筋が見えるのは潮の流れが速いためです

長州砲のレプリカ



源義経像(八艘跳び)


平知盛像(錨を担いだ姿)
源義経像と対峙する位置に設置してあります

■火の山公園
  関門海峡を見下ろす
  標高268mの火の山山頂にあります。
  山の名は、かつて山頂に
  狼煙台が設けられていたことに由来。

  明治期以降は下関要塞の一部として
  重要な軍事拠点となっていたため、
  戦後に開放されるまで
  一般人の立ち入りが禁止されていました。
展望台が改修工事中だったため、ロープウェイ乗り場横の展望スポットより撮影



■カモンワーフ
  唐戸市場に隣接するシーサイドモール。
  関門自慢の海の幸を中心としたレストランや
  土産物店が立ち並んでいます。

  向かいには幕末に砲台が設置された
  亀山八幡宮があります。

  文久3年(1863年)の外国艦船砲撃の際、
  久坂玄瑞の指揮によりこの亀山砲台から
  最初の砲撃が行われたとされています。


■昼食
  カモンワーフ内にある「からと屋」。
  下関のご当地グルメ「瓦そば」を注文。

  「瓦そば」とは、
  熱した瓦の上に茶そばと具材を載せて、
  温かいめんつゆで食べる料理。

  明治10年(1877年)の西南戦争の際に
  熊本城を囲む薩摩軍の兵士たちが、
  瓦を使って野草、肉などを焼いて食べた
  という話を参考に開発されました。
 
  鉄板で供される店もあるようですが、
  ここの店のものは本物の大瓦です。

  焼けたそばのパリパリとした食感が
  とても良かったです。
  おいしくいただきました。


■唐戸市場
  下関漁港や特牛漁港、長門市の仙崎漁港など
  県内各地で水揚げされた多種多彩な魚介が
  集まる市場。
  業者向けの卸売市場の機能と
  市民向けの小売市場の機能が共存するという、
  日本でも珍しい形態となっています。

  この市場で大人気なのが、
  毎週金・土・日曜と祝日に開催される
  「活きいき馬関街」。(「馬関」は下関の古称)

  その最大の魅力はにぎり寿司の食べ歩き。
  「ご当地」、「旬」、「定番ネタ」など、
  多種多彩な寿司を店ごとに1貫から購入できます。
  しかもすべてがリーズナブル。

  寿司のほかにも海鮮丼やふく汁、
  揚げ物、焼物など多くの商品が揃っています。

  購入した商品は市場内の食事スペースのほか、
  市場の外で海を見ながら食べることも可能です。


■昼食その2
  唐戸市場で寿司の食べ歩き。
  ウニ、ヒラサ(ヒラマサのこと)、フク(フグのこと)、
  クジラベーコン、ウナギをチョイス。

  その後、フクの唐揚げと
  クジラの竜田揚げを食べました。
カモンワーフ
亀山砲台跡(亀山八幡宮)
瓦そば
唐戸市場
ウニ、ヒラサ、フク、クジラベーコン、ウナギ



フクの唐揚げとクジラの竜田揚げ


唐戸市場を楽しんだ後は北九州に向かいます。

国道2号線を走り、関門トンネルを抜けて
北九州の観光スポット・門司港レトロへ。


■旧門司三井倶楽部
  大正10年(1921年)に三井物産の
  宿泊施設・社交倶楽部として建設された建物。
  国指定重要文化財。

  もとは山あいの門司区谷町にありましたが、
  平成6年に門司港レトロ地区に移築されました。

  建物はハーフティンバー様式と呼ばれる
  ヨーロッパ伝統の木造建築工法で作られており、
  各部屋にマントルピース(暖炉)が配置されています。
  また、ドア枠や窓枠、大階段の親柱などには
  幾何学模様のアールデコ調の飾りがされており、
  大正モダンを深くうかがうことができます。
  
  大正11年(1922年)、講演旅行で来日した
  アインシュタインはここ三井倶楽部に宿泊し、
  その時の部屋が当時のまま残されています。
  
  門司出身の女流作家・林芙美子記念室もあり、
  自筆原稿やパリの滞在日記、従軍手帳、
  絵画、書など約150点が展示されています。
アインシュタイン・メモリアルルーム


■旧大阪商船
  大阪商船の門司支店として
  大正6年(1917年)に建設。
  国登録有形文化財。

  当時、門司港からは1ヶ月の間に
  台湾・中国・インド・欧州へ
  60隻もの客船が出航していました。
  このビルはその拠点のひとつとして
  一階は待合室、二階はオフィスとして
  使われていました。

  八角形の塔屋が特徴で、
  鮮やかなオレンジ色のタイルが
  ひときわ目を引く建物です。

■旧門司税関
  明治45年(1912年)、前々年に焼失した
  門司税関の二代目の庁舎として建設。
  イギリス積みという工法で建設され、
  煉瓦造り瓦葺2階建構造になっています。

  税関庁舎としては、
  昭和2年(1927年)に三代目の庁舎となる
  旧合同庁舎が完成するまで使用されました。

  その後、民間に払い下げられ、
  倉庫などとして使用されていましたが、
  平成6年に北九州市が修復・復元を行い、
  ネオルネッサンス調を取り入れた
  近代建築物としてよみがえりました。

■国際友好記念図書館
  北九州市と中国・大連市の
  友好都市締結15周年を記念して
  平成7年に建てられました。

  ロシア帝国が明治35年(1902年)に
  大連市に建築した東清鉄道汽船事務所を
  そっくり複製して建築されたものです。

  ドイツ人技師が設計した
  特異な建築様式で作られていて、
  エキゾチックな外観がすばらしい雰囲気です。

■九州鉄道記念館
  平成15年に開館した鉄道のテーマパーク。
  九州初の鉄道会社・九州鉄道が
  明治24年(1891年)に鉄道路線の起点を
  門司駅(現JR門司港駅)としたことから、
  北九州市が門司の鉄道文化発信を目的に、
  JR九州の協力を得て開業させました。

  本館、車両展示場、ミニ鉄道公園の
  3つのエリアで構成されています。

  本館はヘッドマークや各種きっぷ、
  駅員の歴代制服、鉄道用具、駅弁ラベル
  などを展示。
  車両展示場には蒸気機関車や
  人気列車など9両を実物展示。
  ミニ鉄道公園では模型鉄道車両に
  乗車することができます。
EF10形電気機関車(1941年東芝製)
関門トンネル開通時に配備されたステンレス車体の機関車

クハ481形制御車(1969年日本車輌製)
熊本地区の電化にあわせて誕生した交流・直流両用の電車

本館(国登録有形文化財)
明治24年(1891年)に建築された初代九州鉄道本社社屋を転用

かつて使われていた腕木式信号機




これにて今回の旅行の観光はすべて終了。


関門自動車道・中国自動車道・山陽自動車道を通って
山口宇部空港に向かいます。



■帰着
  山口宇部空港17:35発ANA700便に搭乗。
  航空管制指示のため6分遅れで離陸。
  羽田空港には15分遅れの19:30に到着。
関門橋(関門自動車道)



■感想
  今回の旅では長州の幕末志士たちの
  足跡を辿れたのが一番良かったです。
  それぞれの史跡にはガイドの方がおられて、
  詳しく説明をしていただき、
  知識を深めることができました。
  また、山口特産の食べ物も堪能することができ、
  とても満足のいく旅でした。
  グルメでは唐戸市場の活きいき馬関街が
  良かったです。
  あのような所が近くにあればいいのですが。。。



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