北海道旅行記 一日目(2013/07/19)


■出発
  羽田空港7:25発JAL1161便に搭乗。
  東京ディズニーリゾート30周年を祝して就航した
  「JALハピネスエクスプレス」でした。
  側面にミッキー・ミニー・ドナルド・プルート・グーフィーが描かれています。
  シートカバーやドリンクのカップもディズニー柄。
  北海道とは全く関係ありませんが・・・

  1分遅れの出発でしたが、定刻通り8:45に函館空港に到着。

  今回のレンタカーは、スズキのスイフト。
  スズキの車に乗るのは初めてです。

  まずは空港近くにあるトラピスチヌ修道院に向かいます。

  JAL1161便





  スズキ スイフト


■トラピスチヌ修道院
  トラピスト会(厳律シトー会)系の女子修道院。
  正式名は「天使の聖母トラピスチヌ修道院」で、
  通称「天使園」とも呼ばれています。
  日本初の女子修道院で、明治31年(1898年)に
  フランスから派遣された8人の修道女が設立しました。
  現在も厳格な戒律のもとで、修道女が祈り・労働・聖なる読書を
  日課の3本柱として共同生活を送っています。

  前庭部分と売店に併設する資料室のみ見学することができます。
  生計を立てる収益事業として製造するマダレナ(マドレーヌ)が
  土産物として人気です。
  慈しみの聖母マリア像

大天使聖ミカエル像
  司祭館と聖堂



聖テレジア像



■五稜郭
  江戸幕府により北方警備強化のために建設された洋式城郭。
  元治元年(1864年)完成。
  建設中の名称は亀田御役所土塁、完成後は箱館御役所と呼ばれました。
  当時、城内には箱館奉行所や砲台が置かれていました。
  五稜郭は通称で、柳野城とも呼ばれます。
  国の特別史跡に指定。日本100名城の一つ。
  北海道遺産(五稜郭と箱館戦争の遺構)にも選定されています。

  設計は洋式軍学者の武田斐三郎が担当。
  外周は1.8km、面積は25万㎡。
  城郭は5つの稜堡を持つ星形の五角形となっています。
  この上に土塁と石垣が造られ、
  五角形となる土塁と石垣の周りには水堀があります。
  この星形の土塁の南西側には半月堡または馬出塁と呼ばれる
  菱形状の土塁があり、その周りも水堀となっています。

  明治元年(1868年)10月、
  榎本武揚率いる旧幕府脱走軍が五稜郭を無血占拠。
  ここを拠点として明治新政府軍と戦いました(箱館戦争)。
  明治2年(1869年)5月、新政府軍の総攻撃により脱走軍が降伏、
  五稜郭は新政府に明け渡されました。
  その後は役所として利用されることはなく、
  奉行所庁舎や付属建物の大半が解体されました。

  隣接する五稜郭タワーから城郭全体を俯瞰することができます。
  五稜郭タワー

  五稜郭タワーにてカットメロンを食す
星形の5つの突角部分が稜堡、画像下部の三角部分が半月堡


  土方歳三像
  五稜郭タワーアトリウムにあります
  新選組副長であった土方は
  箱館戦争で戦死しました

一の橋
この橋を渡ると半月堡

本堀と低塁
丸く刈った樹木が植えてある土塁が低塁
  表門の本塁石垣

刎ね出し
敵の侵入を防ぐ構造
武者返し・忍び返しとも呼ばれます



手前がブラッケリー砲、奥がクルップ砲
旧幕府脱走軍が使用したものと思われます

  兵糧庫
  箱館奉行所の付属建物(現存)


■箱館奉行所
  五稜郭の中にあります。
  日米和親条約締結による箱館開港に伴う諸外国との交渉、
  蝦夷地の統治及び海岸防備を目的に設置されました。
  元治元年(1864年)完成。
  当時は庁舎のほか、仮牢や稽古場など約20棟の付属建物がありました。
  明治4年(1871年)、明治政府が大半の建物を解体。
  兵糧庫だけが付属建物の中で唯一解体を免れて現存しています。
  現在の建物(庁舎)は、文献や古写真をもとにして、
  当時とほぼ同じ材料・工法で平成22年に復元されました。


大広間(全部屋合わせて72畳)
手前から四之間、参之間、弐之間、壹之間
  表座敷
  奉行の執務室です
大広間横の畳廊下



  小腹が空いたので、昼食前にスイーツタイム。
  目指すは六花亭五稜郭店。


■六花亭五稜郭店
  六花亭は、言わずと知れた帯広の名店。
  五稜郭店は函館で唯一の直営店です。

  お土産を探索した後、喫茶室へ。
  「雪やこんこ まじりっけなし」と「雪こんチーズ」を注文。
  デパートの物産展では長い行列で食べるのに一苦労ですが、
  ここでは並ぶこともなく、ゆっくり楽しむことができました。

  「雪やこんこ まじりっけなし」は、
  あっさりとしたソフトクリームとココアビスケットの相性が抜群。
  「雪こんチーズ」は、中のチーズケーキが濃厚でとても美味でした。
  ちなみに、コーヒーはセルフサービスで無料です。



雪やこんこ まじりっけなし


雪こんチーズ





■昼食
  函館朝市の外れにある「うに むらかみ」へ。
  うに加工会社の直営店で、
  ミョウバンを使用していない無添加のうにを提供しています。

  人気店ですが、13時半くらいだったので並ばずに入店できました。
  「選べる二色丼」を注文。
  私は「うに」と「サーモン」のレギュラーサイズ、
  妻は「うに」と「ボタンエビ」のSサイズを選択。
  レギュラーでも、ちょっと小さめの丼です。
  さらに函館名物「活イカソーメン」を注文。

  今がまさに旬の「うに」はとろけるような感じ。
  ミョウバンを使用していないので変な苦味は無く、
  甘味が感じられてとてもおいしかったです。
  「活イカソーメン」は新鮮なので透明感がすごい。
  コリコリした食感を楽しむことができました。
  選べる二食丼
  味噌汁には話題のがごめ昆布が
  入っていました



うにとサーモン


うにとボタンエビ


  活イカソーメン


  昼食の後は元町周辺に向かいます。

■基坂
  明治時代に道路を作る際に距離を測る基点となる
  里程元標が立ったことからこの名前が付きました。
  この付近は江戸時代から函館の中心地で、
  松前藩時代の亀田番所、幕府直轄時の箱館奉行所、
  明治時代には開拓使支庁、その後は函館県庁や
  渡島支庁がおかれました。
  そのため、住民の間では「お役所坂」「御殿坂」の名で
  親しまれていました。

  坂を登り切った所には元町公園や旧函館区公会堂などがあります。
  街路樹のある石畳が敷かれた直線の広い坂で、
  函館山山麓にある坂の中でも人気の高い坂のひとつです。


■八幡坂
  函館山山麓にある坂の中で一番有名で一番人気の坂。
  かつてこの坂を登り切ったところに箱館八幡宮があったことが
  名前の由来となっています。
  真っすぐに伸びた坂の下は函館湾。
  その向こうに停泊しているのは青函連絡船の摩周丸。
  函館を代表する景色のひとつです。

  過去にチャーミーグリーン(洗剤)のCMで、
  老夫婦が手をつないでスキップするシーンのロケ地だったことから、
  「チャーミーグリーンの坂」と呼ばれていたこともあったそうです。
  CM以外にもドラマ・映画のロケ地などとして度々登場しています。


■函館ハリストス正教会
  日本ハリストス正教会に所属する教会。
  最初に聖堂ができたときに、
  5個の鐘を使って楽器のように鳴らしたところから、
  市民にはガンガン寺という名前で親しまれています。
  ロシア風ビザンチン様式の建築で、
  鐘塔の細長い三角屋根や小さなドームが特徴の優美な建物です。

  安政6年(1859年)、初代ロシア領事ゴシュケヴィツチが
  現在の教会所在地にロシア領事館の敷地を確保。
  付属聖堂として安政7年(1860年)、日本で最初の正教会の聖堂
  「主の復活聖堂」が建てられました。
  文久元年(1861年)、聖ニコライが領事館付司祭として来日。
  キリシタン禁令の中、
  何人かの日本人が聖ニコライのもとに出入りするようになり、
  慶応4年(1868年)、3人の日本人(澤辺琢磨、酒井篤礼、浦野大蔵)が
  最初の洗礼を受けました。

   ※澤辺琢磨は土佐出身。坂本龍馬とは従兄弟同士で、
     幼い頃は仲が良かったといわれています。

  当時の聖堂は明治40年(1907年)の函館大火で焼失、
  現在の聖堂は大正5年(1916年)に建てられました。
  国の重要文化財に指定されています。


  チャチャ登りより


■チャチャ登り
  ハリストス正教会と聖ヨハネ教会の間にある小さく急な坂。
  風情のある石畳が敷かれ、坂を登りきったところからの景観が美しい。
  このため、映画やCMのロケ地にもなっています。
  「チャチャ」とはアイヌ語でおじいさんという意味。
  おじいさんのように腰を曲げて登るほど急な坂ということから
  名付けられました。






■函館聖ヨハネ教会
  日本聖公会の教会。
  明治7年(1874年)、英国聖公会海外伝道教会の宣教師デニングが
  函館に来て伝道を開始。
  明治11年(1878年)、基坂の下に聖堂を建造しましたが、
  度重なる火災などにより幾度か移転。
  現在の建物は昭和54年に完成しました。

  白壁には十字架が刻まれ、四方に突き出た茶色の屋根は
  中世ヨーロッパの教会に見られる建築様式を取り入れています。
  函館山山頂やロープウエイから見ると、
  十字架の形をした屋根が印象的です。


  チャチャ登りより


  旧函館区公会堂に向かう途中、ソフトクリーム屋に立ち寄り。


■公会堂のとなりです
  函館牛乳を使ったさっぱりとした味わいの
  ソフトクリームが大人気のお店。
  店名のとおり、函館を代表する観光スポット
  旧函館区公会堂の隣にあります。
  函館出身のアーティストGLAYのTERUおすすめのお店らしいです。


■旧函館区公会堂
  明治43年(1910年)開堂。
  左右対称のコロニアルスタイルで
  ブルーグレーとイエローの色が特徴的な建物。
  館内も外観に劣らず華やかで、
  明治洋風建築に共通したルネッサンス風の面影をもっています。
  建築意匠・技法に優れ、建物の改造が少なく、
  家具の保存状態も良いことなどから、
  国の重要文化財に指定されています。

  明治44年(1911年)には、皇太子殿下(後の大正天皇)が行啓の際、
  宿舎として使用されています。
  館内は御座所、御寝室や130坪の大広間など、
  当時の華やかな雰囲気をそのままに残しています。
御座所



御寝室



  大広間
  音楽会や舞踏会、美術展などの

  各種行事・催物に使用されていました

■旧北海道庁函館支庁庁舎
  古代ギリシャのコリント様式の柱頭飾りがある
  エンタシス風の柱が特徴の洋風建築物。
  北海道指定有形文化財。

  享和2年(1802)以降、江戸幕府はこの場所に箱館奉行所を置き、
  明治に入ってからは開拓使函館支庁・函館県庁・北海道庁函館支庁
  などが置かれ、行政府の中心になっていたところです。
  当時の庁舎は明治40年(1907年)の大火で焼失。
  現在の建物は明治43年(1910年)に完成しました。
  その後は渡島支庁庁舎や北海道関係施設などとして使用され、
  現在は函館市写真歴史館・函館市元町観光案内所として
  活用されています。


■旧イギリス領事館(開港記念館)
  安政6年(1859年)の開港とともに、
  アメリカ・ロシアに次いで函館では3番目に開設された領事館。
  函館市指定有形文化財。

  数回の火災に見舞われた後、この場所に再建されました。
  現在の建物は大正2年(1913年)に竣工したものです。
  昭和9年(1934年)に領事館としての役目を終えて閉鎖。
  平成4年に復元して開港記念館として一般開放されています。
  裏庭には英国式庭園のローズガーデンがあり、
  春から夏にかけては多種多様のバラを楽しむことができます。

領事執務室
双眼鏡を覗いている像の人物は、
リチャード・ユースデン領事
歴代領事の中で最も人気が高かった


家族居室





  元町周辺の観光はこれにて終わり。
  次にベイエリアに向かいます。

 
■新島襄ブロンズ像
  新島襄は、大河ドラマ「八重の桜」主人公・新島八重の夫。
  福澤諭吉らとならび、明治六大教育家の一人に数えられています。

  天保14年(1843年)、安中藩の江戸詰め下級武士の長男として誕生。
  元治元年(1864年)、箱館の武田斐三郎の塾に入り、
  そのかたわらロシア人司祭ニコライの家に住んで日本語教師となります。
  同年、国禁を犯してアメリカ商船にて密出国。
  フィリップス・アカデミーとアーモスト・カレッジを卒業し、
  日本人として初めて学士号(理学士)を取得しました。

  その後、岩倉使節団に随行してヨーロッパに渡り、
  ヨーロッパの教育制度についての報告書の草案を作成。
  この草案は、「理事功程」として明治政府に提出され、
  日本の学校制度の基礎資料となりました。
  明治8年(1875年)に帰国し、
  京都の地に同志社大学の前身となる同志社英学校を設立。
  翌年、八重と結婚しました。

  この像は箱館から密出国すべく、
  一艘の小舟に乗り込んで外国船に向かう姿を再現。
  近くには新島襄海外渡航の地碑もあります。


■金森赤レンガ倉庫
  ベイエリアにあるクラシカルなレンガ造りの倉庫群。
  明治末期に函館で最初の営業倉庫として建造されたもので、
  建物内部の太い梁や頑丈な床板に往事を偲ぶことができます。
  現在はビヤホールやレストラン、ショッピングモールとして
  再利用されています。
  港に面して赤レンガの倉庫が立ち並ぶ様は、
  函館を代表する風景のひとつです。

  函館の人気洋菓子店「ペイストリースナッフルス」で
  「チーズオムレット」を購入するなど、
  ショッピングを楽しみました。


  函館の夜景を見に行く前に、荷物を置くために宿にチェックイン。


■本日のお宿
  函館朝市に隣接する「東横イン函館駅前朝市」。
  函館駅やベイエリアは徒歩圏内、
  ビジネスにも観光にも便利なホテル。
  お母さん達手作りの日替わり朝食(無料)が好評です。


  宿を出る前に、フロントにて函館山頂行きバスの割引チケットをゲット。
  通常、片道360円のところ、往復で500円。
  ロープウェイで登るよりも、かなりお得です。

  ホテル前にもバス停がありましたが、
  ここからでは座れないと思い、始発の函館駅前から乗ることに。
  (山頂まで約30分、カーブの多い山道を立ったまま乗車するのは
   きついと判断)

  18:30発のバスに乗るつもりで、18:10過ぎに函館駅前に到着。
  すでに行列ができていましたが、ぎりぎり座れました。
  一般の路線バスですが、ガイドさんが観光案内してくれます。



 
 
■函館山
  標高334m。
  函館山とは、展望台のある御殿山をはじめとした
  薬師山・八幡山など、13の山々の総称。
  昼間晴れた日には眼下の函館市街はもとより、
  津軽海峡を挟んで遠く下北半島を望むことができます。

  函館湾と津軽海峡にアーチを描くように挟まれ、
  全国的にも珍しいくびれた形の「光の街」と「闇の海」の
  コントラストが演出する美しい夜景が有名。
  神戸の摩耶山および長崎の稲佐山とともに「日本三大夜景」、
  さらには香港およびナポリとともに「世界三大夜景」と称されます。

  人工のサーチライトや派手なネオンサインはなく、
  明かりのひとつひとつは、函館の人が生活する場の照明や街路灯。
  その柔らかい光が、心癒す夜景を形作っています。


  19時ちょうど、函館山頂に到着。
  展望台に直行し、何とか最前列をキープ。
  この日の日没は19:09。
  眼下に広がる函館の街並みが黄昏から次第に濃紺に染まり、
  神秘的な夜景へと変貌。
  素晴らしい夜景に感動しました。

  日没直後

  日没20分後


  翌朝撮影


「100万ドルの夜景」とか
「宝石箱をひっくり返したような夜景」などと形容されます







  約50分間滞在の後、バスにて下山。
  車窓から時々見える夜景を楽しみました。
  夕食を食べるためにベイエリアの明治館前停留所で下車。


■夕食
  「きくよ食堂ベイエリア店」。
  昭和31年創業の函館朝市の老舗「きくよ食堂」が
  プロデュースしたお店。
  ベイエリアの「函館ベイ美食倶楽部」にあります。
  昼は海鮮丼をはじめ各種定食など、夜は道産食材を中心に
  新鮮な魚介類・肉・野菜を使った料理を楽しむことができます。

  食事は以下のものを注文。

   ・根ぼっけ刺身
     初めて食べました。ほっけは足が早いので、
     新鮮でなければ刺身で食べることができないそうです。
     とろとろの食感が良かったです。
   ・紅鮭ハラス焼き
     ハラスはマグロでいう大トロの部分。
     脂がのっていて絶品でした。
   ・本タラバ足焼き
     私の田舎ではマツバガニが有名ですが、
     個人的にはタラバのほうが好きです。
   ・塩水生うに刺身
     無添加なのでうに本来の濃厚な甘さ。とろける舌触り。
     とても美味でした。
   ・知床鶏もも塩焼き
     ベイエリア店人気No.1メニュー。やわらかくてジューシー。
     塩加減もいい感じでした。

  北海道ならではのものをおいしく食べられて大満足でした。
  まずはビールで乾杯
  北海道といえばサッポロクラシック

  お通し(ニシン切り込み、お浸し、松前漬)

パンフレットのクーポンでもらった小鉢

根ぼっけ刺身

  紅鮭ハラス焼き

本タラバ足焼き


塩水うに刺身


  知床鶏もも塩焼き


  満腹になった後はホテルに帰り、ゆっくり休みました。



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