オランダ王国大使公邸(2013/04/13)


                   報道ステーションでオランダ王国大使公邸の一般公開が
                   紹介されていたので行ってきました。
                   昼頃に行ったのですが、公邸前から東京メトロ神谷町駅まで
                   約400mの大行列。2時間待って、ようやく入場できました。


■オランダ王国大使公邸
  オランダは日本が鎖国していた400年以上前から
  西洋で唯一国交がありました。

  幕末に欧米諸国との交流が始まると、
  江戸に各国の公使館を設置することになりました。
  当時は攘夷論が高まっていた時代であり、
  大名屋敷が多く比較的安全だった港区近隣の寺院が
  各国代表を受け入れました。

  オランダは港区芝の西応寺や長応寺などを利用。
  現在の場所に移転したのは明治16年(1883年)です。
  当時の建物は大正12年(1923年)の関東大震災の火災で焼失。
  現在の建物は昭和3年(1928年)に再建されたものです。

  当時は大使館でしたが、現在は1階がレセプションルーム、
  2階が大使の邸宅として使用されています。
  オランダ王国の国章が際立つ白と緑を基調としたデザインは、
  左右対称の規則性のある新古典主義建築といわれています。
  
  普段は大使公邸の敷地内に入ることはできませんが、
  11,000株のチューリップが見頃を迎える4月中旬頃に
  期日限定で一般公開されています。
  ライオンがデザインされたエンブレム

オランダ船の通航を許可する
徳川家康の朱印状

書斎

  控えの間

サロン

ダイニングルーム

  大広間




■東京タワー
  高さ333mの東京のシンボル。
  昭和33年竣工。
  観光名所としての人気も高く、
  タワー内には展望台・フードコート・土産店などがあります。

  本来の役割は電波塔であり、
  テレビ・ラジオのアンテナとして放送電波を送出しています。
  また、JR東日本の防護無線用アンテナや
  東京都環境局の風向風速計、温度計、硫黄酸化物測定器などが
  設置されています。

  海抜150mの大展望台と250mの特別展望台からは、
  首都東京の360°パノラマのほか、
  晴れた日には富士山や房総半島まで見渡すことができます。

  現在はスカイツリーに次ぐ日本で2番目に高い建造物です。

  ※放送大学を除く地上デジタルテレビ放送7局の送信所は、
   平成25年5月に東京スカイツリーに移転しました。






  公式キャラクター「ノッポン」

■南極観測ではたらいたカラフト犬の記念像
  制作:安藤士(渋谷の忠犬ハチ公像を制作した彫刻家)
  第1次南極観測隊に参加した樺太犬15頭の功績を称え、
  昭和35年に日本動物愛護協会が設置。
  東京タワーの塔脚基部にあります。

  昭和31年11月、総勢53名の第1次南極観測隊隊員が、
  タロ・ジロを含む22頭の樺太犬とともに
  南極観測船「宗谷」で南極へ出発しました。
  このうち、11名の隊員が第1次越冬隊として南極に留まり、
  病気などで帰国した3頭を除く19頭の犬たちが、
  犬ぞり引きなどで活躍しました。

  昭和33年2月、第1次越冬隊と入れ替わって越冬する
  第2次越冬隊を乗せた宗谷が南極付近に到着しましたが、
  天候の悪化のため、昭和基地にはたどり着けませんでした。

  昭和基地から帰還する第1次越冬隊員たちは、
  かろうじて小型飛行機で宗谷に到達するほどであり、
  15頭の犬たちは首輪で昭和基地につながれたままとなりました。
  (越冬中に2頭が死亡、1頭が行方不明、
   子を産んだメスのシロ子は子犬とともに隊員と帰還)

  その後、ぎりぎりまで天候の回復を待ったものの、
  宗谷自体が遭難する危険性も出てきたため、
  第2次越冬隊の派遣を断念。
  それとともに15頭の犬の救出も見送られ、
  南極に置き去りにされてしまいました。

  残された犬たちの生存は絶望視されていましたが、
  昭和34年1月、第3次越冬隊が2頭の犬を発見。
  生存していたのはタロとジロの兄弟犬でした。
  タロとジロの生還は感動をもたらしましたが、
  偉業を成し遂げた樺太犬の多くが犠牲になったことを
  私たち日本人は決して忘れてはなりません。

  ※東京タワー敷地内で進められている緑地化工事に伴い、
    カラフト犬記念像は国立極地研究所(東京都立川市)に
    移設されることになりました。
    樺太犬たちの姿が見れるのは今年秋になるようです。
 



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